きのうみた夢どんな夢

サブカルを拗らせていた頃とその折り合い

ブレイクするっていうのはバカに見つかるってこと

有吉が2009年にアメトークで言った言葉らしい。あまりに普遍的でこわい。


甲本ヒロトのこんな言葉もある

売れているものが良いものなら、世界一のラーメンはカップラーメンだよ。

この言葉を胸に刻み付けて辺鄙な音楽ジャンルに分け入った音楽キッズがどれだけいただろうか。


クラスメイトのほとんど誰も知らないような音楽をわざわざ好きになった人、そのきっかけには、もちろんたまたま好きになったものがマイナーだったこともあるでしょう。
でも「人と同じものなんか選びたくない」という自意識だった人もきっと多い。
逆に言うとクラスに馴染めない奴の99%はサブカルか二次元のオタク(女子ならバンギャも)の進路に進むじゃないですか。

冒頭から主語をデカくしてしまったので主語を自分に戻すと、私の進路先はサブカルでした。


はっきりといつから音楽を聴き始めた、なんてさすがに覚えていないけど、覚えているのは小学5年生の誕生日プレゼント。父に勧められてCDコンポを買ってもらった。
それ以外の誕生日のことなんて覚えてないのに、それだけ覚えてる。普通のラジカセみたいな形で、スピーカーの色が赤とか緑とか水色とかあって、私はオレンジを選んだ。勉強机の横に置いてた。
当初は特別自分で欲しがったわけではないのだけど、いつのまにかというか、当然のようにというか、ほどなくしてそのコンポにかじりつく生活になった。

高校の合格祝いでMDウォークマンを買ってもらった。そのコンポはCDMDにダビングできるというハイテク機能が搭載されていたんですよね。一瞬で滅びたMDっていう文明ご存知ですか?
バンド名を雑に手書きしたMDを1枚入れて、通学時間の行きも帰りも繰り返し聴いた。
くるくるするiPodが出始めたのもその頃だ。

当時コンポで聴いていたアルバムの一例

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音楽の情報源が父親とブックオフしかなかった頃。

 
再生ボタンを押した瞬間に最高に好きな音楽でひたひたに満たされて、頭の中がそれでいっぱいになるような、そういう瞬間がもしない人生だったら、思春期をどうやってやり過ごしていたのか想像できない。
高校1年の私にとって、イヤホンをして道を歩くっていうそれだけのことがめちゃくちゃ最強になれる瞬間だった。嫌なことがあっても嫌いな奴がいても、それよりもっとでっかい最高にいつでも支えられてた。

だから別世界じゃないとだめだったし、誰でも聴いてる音楽じゃだめだった。
クラスのカーストトップの子たちが好きな曲や、たぶん私の陰口を言っているあの子たちも好きな曲じゃ絶対にだめだった。
クラスのあいつらは知らない最高を自分は知ってるぜっていう、可愛いほどにちっぽけな自意識が自分を保っていた。

まぁ、流行り絶頂期のオレンジレンジとかも聴いてましたけどね。いいんだよオレンジレンジは。うちらの世代が聴かなきゃ誰が聴くんだよ。

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 大学で入った軽音サークルは、そういう自意識をどろどろに煮詰めたようなとんでもなく排他的な集まりだった(個人の見解です)。内側にいると死ぬほど居心地が良かった。


好きな音楽がそのままアイデンティティで結束だった。
限られた層だけが好む魅力があって、その限られた層に自分が含まれている時が楽しくて仕方なかった。
だから最大公約数化されたような伝わりやすい魅力の音楽を露骨に嫌ってバカにした。


限られた層として好んでいた音楽の一例f:id:harunonegoto:20210816015555j:plain


でもねぇ大人になるってそんなに悪いことでもないんだよね(遠い目をして煙草の煙を吐きながら)。
同じ教室で、同じ授業を受けて、同い年の、同じ学生という身分しか周りにいない生活だったら、しかもそれが自分とは何かみたいなのを確立する年頃だったら、自分と周りは違う、という意識をぎちぎちに拗らせるのは仕方ないのだと思う。

サブカル出身の人のその後はさまざまらしい
そのまま趣味を深めて仕事にするなど、本当にサブカルチャーが好きな人。
昔から好きなもの、好きなジャンルをずっと好きでい続ける人。
そもそも変な自意識とかではなく、ただ好みが大衆とズレてるだけの人。
趣味の範囲が広がってメインカルチャーサブカルャーも境界が薄くなっていく人。
私はそれ。音楽とか、あと映画とか漫画とか、そういうカルチャーが好きっていうのだけが結局残った。

もうこの先サークル仲間とコピーバンドを組むこともなければ、最近聴いてる曲のことを日常的に話す相手もいない。ただ同い年というだけの同級生と自分を比較するほど世界は狭くない。「〇〇を聴く自分」という他者の目への自意識も(以前よりは)ない。
じゃあ何を好きでもいいんじゃん。
って思ったらするする~っとK-popの1番売れてる沼に滑り落ちていって、いや、さすがに何でもいいにも程があるだろ勘弁してくれって、私の最後のサブカル人格が肩を強く揺さぶって思いとどまらせようとしたけど結局戻れなかった。

ただ、わかる人にだけわかるおもしろさとか、関連分野を開拓していく楽しさとか、幸いサブカル人格を満足させてくれる要素があるので今は良い関係を築けています。


人と被るのは嫌っていう考えが人と被ってることは、薄々気付いてはいた。
流行ってるから聴く、はダサいけど、流行ってるから聴かない、も同じだ。
でも純粋な好きってなんだろう。
好きなら他のことは関係ないんだ、って言葉にすると普通だけど、イメージとか人気度とかファン層とか一切意識しない好きなんて、もはやあるのだろうかとすら思う。まぁそういうの含めて好きっていうものもあるけど。

例えば、深夜に1人たまたまつけたラジオでたまたま流れた曲を何も知らずに一瞬で好きになったとして(そういう経験、私も2回くらいある)それが純粋な好きかというと、そのストーリー込みで好きみたいなところも、ないこともない。という可能性もある。かもしれない。


流行ってるものをなんだこれ全然好きじゃないな、って思うこと自体は今でもよくある。
でも考えてみたら、流行ってもいないし好きでもないものを知る機会というのは、まあ普通に考えて少ない。
だから好きでもないのに目にするものは、流行っている確率が高いというだけで、好きじゃないということと流行ってるにはそもそも因果関係ないよな。と考えると好きになってしまったなら関係ない、って結論にしかならないのかと、私のサブカルらせ人格は渋々納得の表情でk-pop聴いてる。