きのうみた夢どんな夢

オタクだとか推しだとか

 

冷やかに見られているのかもしれないと思いつつ、オタクだとか推しだとか、そんな言葉をカジュアルに使っちゃうのはとても楽しい。

 

 

 

オタクと自称するの、自分で詳しいって言っちゃっててダサい、みたいな空気が前はありませんでした?

それこそ最初はアニメやゲームファンの蔑称だったものが、何かに「詳しい人」という使われ方になり、次第に「熱心なファン」みたいな意味で内向きで使われるようになったのかなというイメージ。

 

そして個人的に今の使われ方が好き。

 

前回の投稿で、なんでアイドルオタクをやっているのかを書こうとしたのですが「なんでアイドル」の部分で終わってしまったので、「なんでオタク」の部分が今回です。

 

なんでと言っても「そういう星のもとに生まれてしまったから」と言っちゃえばまあそうなんですが…

 

これの話をします。



興味を持つ、何かをおもしろいと思う、夢中になる。
そういうことを、私は能動的なことだと思っているんだけどそうじゃない人もいるらしい。
何かをおもしろいと感じる、というよりは
おもしろい何かがある、なんだろうか。
たしかに、新しい何かを知るって、疲れるのはわかるのですけどね。何も入ってこない精神状態のときもあるし。

踊るのに許可いらないんですよ。


好きなものを貪欲に追い求めて、そのおかげで人生楽しい幸せ!って人たちのことを、例えばオタクと呼び合い影響を受け合うのはなかなか楽しい。
だから今日も、自称も他称もオタクって使っちゃう。

 

 

好きなものを貪欲に追い求めること、

文字にすると「好きなんだから当たり前じゃん?」って気がするけど、実際簡単じゃない。

らくちんなことを幸せと履き違えてしまったりするから。

 

「今の人は、幸福と快楽の区別を知らない。快楽を得ることを幸福だと思っている」

唐突に明治の文豪、武者小路実篤の言葉を引用してしまいました。

これ初めて目にしたとき、図星でショックだった。それ以来、意識的にしろ無意識にしろ快楽ではない幸福を知っているような人のことを尊敬してしまう。
武者小路実篤の言う「今の人」って私のおじいちゃんくらいだと思うがそれは知りません。)

 

「貪欲」という言葉、個人的に大事にしてる言葉。

私は高校生の頃しょこたんブログを毎日欠かさずチェックするファンだったのですが、そこで彼女が頻繁に言う言葉だった。

コンサートの名前にも。

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可愛い大好き。

 

子供の時の私は、与えてもらったものや今あるものに対して「好き」「楽しい」と思うだけだった。知らない世界が広がってることを知らないから。

自分の好きなことにはもっと欲を出してもいいのかもしれない、むしろそうじゃないともったいない、それってわがままとは違うのかも、と気付いたのはしょこたんのその姿勢だった。

 

それにこの「貪欲」って言葉、あくまで好き!の範疇を出ない言葉なのも良かった。全然意識高くない。好きなもん極めたって人間的に素晴らしくなるわけじゃないからね。むしろちょっとキモくなるくらいですからね。

 

この言葉がなければ、私はもっと受け身で生きてるだけの人間だったかもしれない。
私にとってはらくちんに逃げないキーワードみたいなものでもある。


そういう向き合い方、捉え方、生き方を、私の場合は「オタクをやる」って言っていて、そういう楽しさを共有できる仲間が、私の場合はオタク友達に多かった。
オタクオタク書きすぎて流石になんかちょっと恥ずかしくなってきたな。

 

 

 

「推し」って言葉も、なにそれ(笑)って思ってる人もいると思う。
でも私は好きで、使いたくて使ってる。
時代が変わったら廃れてしまうかもしれないけど。

昭和アイドルには「親衛隊」がいらっしゃいましたよね。

“しんえい【親衛】 国王や国家元首などの身辺を護衛すること。また、その人。”

これはこれで心の底からわかる。推しのこと、徒党を組んで守り抜きたいもん。

 

参考画像:松本伊代さんの親衛隊の方々

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これはオタクの最終形態として1つの理想。

 

それに対して「推し」。護衛する人も家でひっそりと応援するだけの人も関係ない。それぞれ自分が推してるってだけ。それはとても自由な現代の空気だなと思う。

最近はアイドル以外にも、「贔屓にしてる」「特別お気に入り」「応援したい」みたいな感じで使われてるみたい。自分が相手へ影響をもたらしているとかなく、ただ自分が相手から良い影響もらってるんですありがとう、っていう感じ。

自分の中だけで完結している言葉なのがいい。

単なる好きには納まらないけど、相手にとって自分は何者でもないから発展性のある言葉は相応しくなくて、だからそれを例えば推しと呼んでる。

自分にとってだけ少し特別な存在。

呼び名があると形のない感情も明確になり、明確になると大事にしやすい。

 

 

オタクをやってて何がそんなに楽しいの?

という自分語りのつもりだったんですけどなんだか偉そうな感じになってしまった。早くTwitterに戻って推しの唇がさくらんぼみたいだとかばっかり言おう。

間違ってもオタクが正しくて人間的に素晴らしいなんて言うつもりはない(往々にして逆である)ので 、できれば全部の文末に「まぁ知らんけど」って付けて読んでくださると助かります。

 

 

ちなみに最初に貼ったツイートの「何かおもしろいことないかな~」という言葉、のっぴきならない事情で嫌いになった昔の友人(元彼とか恋敵ではない友人、現在は赤の他人)が当時私に何回も言ってきたことがあって、それ以来この言葉の印象は余計に最悪。あいつは絶対覚えてないだろうけど、元気にしてるかな~。