きのうみた夢どんな夢

ずっとこんな感じだ

歩きながらイヤホンで音楽聴いてたら、「うわやっぱこの曲めちゃくちゃ好きだな〜」ってなって帰り道にちょっと小走りになったりした。
 
これ10代のときの話じゃなくて先週くらいの30代残業帰りなのやばい。
 
Vaundyのアルバム聴いてたらbenefitという曲が一番好きで、というかこの曲が好きというよりこういう90sオルタナが聴きたいんだよなと思ってそれから、radioheadとかsonic youthとかPixiesとかteenage fan clubとかマイブラとかスマパンとかを急に一生懸命聴くに至っている。
このへんのジャンルは好きだけど疎くて、友人の好きだったバンド、誰かがコピーバンドやってたバンドっていう記憶が多い。友達の友達みたいな。もしくは友達の元恋人みたいな。
何かのバンドに付随してその人が思い浮かぶとか、その人と言えばそのバンドみたいな記憶のされ方って羨ましいなとちょっと思う。でもほしいかというとほしくない。今の推しでは記憶されてほしくないけど、昔の推しグループとなら、セットで誰かに思い出されたらちょっといいかもしれない。
spotifyが勝手に作成してくれる90's Altanative Rockのプレイリストをありがたく活用させてもらってる。そこからアルバムに飛べるから助かる。
聴きたいものがシームレスに聴ける現代文明には死ぬほど感謝してる。CD買ったり借りたり地道に探してた頃を音楽目覚めたてのがむしゃらさと絡めて楽しく思い返すことはあるが、それが今より良かったことなんて少なくとも私はないな。
 
20年以上前の世界的バンドらを聴いてる一方で久しぶりにちっさいハコのライブに行ってる。
今1番ライブ見たすぎるバンド、行きたすぎて(あと母数が少なくて)整理番号1番を2回取った。まだ今後も取れてしまいそう。しかしそういう部分に欲を出したらいけないと過去の自分が警報を鳴らす。
本当にハコと言いたくなるこの規模のライブハウス、もうそんなに行くことはないと思ってたのに今年は月一レベルで行きそう。もし私のストーカーがいたら行動把握すんのめちゃ楽だろうな。
バンドは推しではないので、行きたいなら自分の気が済むまで勝手に行きまくってそれで飽きるなら飽きればいい。好きだなーと思った時にいろいろ理由つけてそれをセーブする癖に気づいてから、リミットを意識的に外すようにしている。
 
具体的にどのバンドというわけではないが、ギタリスト然としたギタリストと、ロックンローラーって感じのギターボーカルと、音楽とかロックというよりとにかくバンドやりたくてやってるベースとドラム、みたいなのがいるバンドが好きかもしれない。
それと最近気づいたけど、簡素なドラムセットでヤバいドラム叩くドラマーがめちゃくちゃ好きだ。テクニカルとかただ手数が多いというのとはたぶん違うんだけど。この前のライブですげー好きなドラム見たのにサポートだったらしくて名前がわかんなくて悲しい。

ライブハウス以外でお目にかからないような格好してるバンドマンとか、よれよれのTシャツとか着てるバンドマンとか、派手なグルーピーちっくな女とか、こもった埃っぽい室内とか、1階に眼科のあるビルの地下やアパートの横とかで近隣住民に配慮しながら肩身狭く営業してる感じとか、隠してあるような入り口とか、終わって外に出た瞬間のあっけなさとかライブハウスのこと全部愛してる。
 
チケット取ってライブに行くという趣味、考えれば考えるほど自分に都合のいい趣味すぎる。
日程や内容が決まっていて不確定要素が少なく、どんな楽しみがあるか知っている安心感はあり、けれども毎回新鮮なおもしろみと何らかの刺激がある。それに酒が飲める。受け身で楽しめるのに身体を使って楽しんだ充足感もある。なぜか自分と向き合うような時間でもある。人が大勢いる中で一人でも勝手に楽しめる。酒も飲める。おしゃれをしていくも良し、しなくとも良し。酒だって飲める。パッと非日常を楽しんでさくっと日常に戻る。でも余韻が残る。
別にライブという趣味はとても素晴らしいのでぜひ行きましょうとお伝えしたいわけではない。ただ自分が幸せになる事柄に自覚的でありたいなという話。
 
ほどよく先に駒を置くようにぽんぽんと予定が立っていくと、だらだら続いている生活に区切りがつくのがいい。自分でつけられるというのがいい。そうやって気がつけば6月に、気がつけば年末に、と今年はやっていきたい。
 

繁忙期が終わり2024

忙しいと感情が消去法で喜怒哀楽の怒になってぷりぷりしながら退勤してしまう。たまに哀になるのは良くない。

 

仕事頑張りたくないわけじゃないんだけど、自分の考える頑張り方で頑張るだけで頑張ったと評価されて結果出して頑張ったな〜!ってなりたいからだめなんだよな。

決まったやり方しかできないより、するすると周りに合わせられるスマートさには憧れる。そういう手札の多さ。人脈とか知識とかすごい発想というのよりもっと目立たない手札の多さというか。

でもやっぱ自分のやりたい頑張り方だけで頑張りて〜
苦労したくないとは言わないけど納得できない苦労はしたくね~

 

頑張りたくないわけじゃないんだけど、たまに辞めるの選択肢はちらつく。

でも仕事を辞めたいというか、頑張るのやめたいだけで職場や職種を辞めたいわけじゃないんすよね。職場、辞めようと思えば理由はいくらでも出るんだけど、理由にはなっても決め手にはならない。いいところというか、気に入ってる。居心地はいい。トップの考えに賛同できる。尊敬できる人がうろうろいる。

先日、お昼買いに行こうとしたエレベーターでたまたま一緒になったからという理由で40代と50代の男性上司と3人でランチしたんだけど、普通に楽しく気負わず過ごせて良かった。あー私もようやく「若い女の子」を抜け出たのだなと思った。

あとこれはいいことでもないんだけど、私は「内輪ノリ」が好きなんですよね。
わかる人にはわかる話をわかる人とだけ盛り上がる。オタクがまさにそう。

だから職場の人と同じ専門の人間として話ができるのって大事かもしれない。前提条件を同じにしている人と話せることのありがたさ。プライベートだけじゃ足りないこともある。

あとなんかちょっと変なこと言っても「え〜すご〜い私わかんない〜😂」とか言う人がいない。「へえ、それってどういうこと?」って、わからないことは知ろうとする人、頭がいい悪いで話を終わらせない人ばかりなのはめちゃくちゃありがたい環境。(まあただ、興味のない話を相手を立てながら終わらせるとき「あー私よくわかんないですね~」は言うけどな。)

 

なりたかった大人になれてる、と思える生活があるのはこの職場のおかげも大きいんだろうな。それなら食いついていかなきゃいけないんだろうな。

 

 

繁忙期終わったぜ。気づけば年度も終わってたぜ。

結局私は大暴れできないとだめだ。

忙しい!!!!って言えるだけ働いて、遊んだ!!!!って言えるだけ遊びたい。

めちゃくちゃ忙しくしないとめちゃくちゃ遊べない。これだけ労働したんだからこれだけ遊ぶってなれるし、ほどほどに働くだけではほどほどに遊ぶだけで満足してしまう。

でもほどほどじゃダメか?

私、別に派手なことするタイプじゃない。休日は家から出たくない。金のかかる趣味はそんなにない。服も化粧品も外食も好きだけど、SNSを見てるとどちらかと言えば無くて困らない方だと思う。

ほどほどがやっぱり1番幸せじゃないか?

そう、学生の頃がそうだった。ほどほどにバイトしてその中でそれなりに満足していた。特別我慢して倹約したわけでもない。豪遊したいわけじゃない。

使いたい金額の話をしているわけじゃない。ほどほどに興味の範囲を納めて、自分を合わせていた。それをやりたくないんだよな。外にもっといろいろあるのに、それを見ようとすれば見れるのに。今これで満足してるからいいと考える。行くか迷ったら行かない。やるか迷ったらやらない。そうやって自分で自分のやれるキャパを決めるのが嫌だ。

めちゃくちゃ遊びたい、は時間や金額の数字の話じゃなくて、セーブしないこと。
何を?興味とか。うわ好きかもって思ったときの勢いとか。見つけられたかもしれない好きなものに全部出会っておきたい。根本的に言えばそういうことだと思う。

手札とかキャパとか、突き詰めると同じようなものかもしれない。懐?

 

10月(前後)の諸々2023

誕生日の月は調子が良い、という自分にしか通じないジンクスが今年は11月になった模様。融通の利くジンクスで助かる。

 

10月の記憶があまりなく、あまりないということはないだろうと手帳を見返したところ、表参道と荻窪でライブを見て、上野でキュビズム展を見て、アメリカのバンドと韓国のバンドと北京のバンドをよく聴いており、上司に連れられて赤坂の豚肉がおいしいお店に行き、くらちゃんみにょちゃんと東京駅で小籠包を食べ、歯医者でセラミックの詰め物を施し、月末に神保町の古本市の収穫でほくほくしていた。むしろ割に充実してた。

 

 

今年は平均して月1.2回ライブに行っている。

 

サマソニに行けたのも良かった。

やろうと思えばできるはずだけどやったことないからやってなくて、別にやらなくても困らないでも絶対やった方がいいし、それなら早い方がいいと思う。ということのひとつが夏フェスに行くことだった。

大昔にロックインジャパンとか、ベイキャンとか、行ったことがないわけではなかったけど、鉄板のとこ行けて良かった。

これは飲みたいと食べたいとライブ見たいを全て叶えようとしているところです。

 

フェスではないけど、BiKN shibuyaも行けて良かった。1日でアジア各国のバンドがいろいろライブやるイベントでした。インドネシアと北京と韓国と台湾のバンドを見た。

もともと知っていたバンドばかりではなかったが、この日のためにたくさん聴いた。聴いた分好きなバンドが増えて、好きになるたびに「このバンドのライブ見れるのか」「このバンドもこの日に見れるのか」と毎度新鮮に浮かれた。

好きな音楽が増えるなら順序はなんだっていい。先にチケット取ってからだっていい。

これは釜山のバンド、say sue me。

 

そういえばピンクのジャージのズボンが可愛くてまた浮かれた。

少なくとも6年以上ぶり、もしかすると8年ぶりとかでtheピーズのライブにも行った。そんなに久しぶりとはいえ、数えようもないけど、これが1番多くライブに行ってるバンドなのは確かだ(チケットが取りやすくライブが行きやすい、という理由はあるが)。

知らん間にドラムとベースが新顔になってて、メンバー3人だったはずが4人になってて、ギター1人のはずが2人になってて、ベースボーカルのはずがギターボーカルになるなど変化していたが、総じて感想が「変わってなくて安心した」だったのが良かった。

今のドラムの人いいなあ、他どこで叩いてるんだろう、と思って調べて聴いたバンドのひとつがすごく良くて、気づいたらそれから数日のうちにワンマンのチケットを取っていた。

そのバンド、曲が普通にめっちゃ好きということのみならず、ドラムとギターボーカルが幼馴染で、高校生の時に2人でピーズのコピーやってた、って話見て完全に全部好きになってしまった。

マリというバンド。検索しにくいバンド名はやめてほしい。でも由来が同じく幼馴染のギターの実家の犬の名前らしくて、なら仕方ないねとなった。

ワンマン楽しみ。

2日連続ライブ行く日程になってしまったが、できればそれは避けたかったのだけど仕方ない。

場所が初めて行くzepp shinjukuと、これまた少なくとも8年ぶり、もしかしたら10年ぶりとかで行くbasement barなのも楽しみ。

 

***

 

行きたいライブは、今のうちに行けるだけ行こうと思っている。

聴きたい音楽は聴けるだけ聴きたいし、行きたい美術館も行けるだけ行きたいし、読みたい本は読めるだけ読みたいと思ってる。観たい映画も観れるだけ観るようにもしたいが、まだちょっとそれができていなくて反省。来年へ。

 

文化的な趣味を忘れることを恐れている。

あと物価高騰とか親の健康とか5年後の自分の仕事と収入とか加齢による身体の変化とかも恐れてはいるが、根本的に私はなんとかなっちゃうと思って生きている。そしてこういうことがなんとかならなかったとき、それはなんとかならなかったという明確な答えになってくれる。

 

趣味なんて、カルチャーなんて、別に忘れてしまってもなんとかなることはわかってる。そうしてなんとかなることを恐れてる。

たぶんそこでなんともならなくなって、ああ自分があのとき趣味を忘れてしまったからいけないんだ、とはならないのだ。そんなわかりやすい答えにはなってくれない。

趣味を忘れた先の時間は、それ相応の(きっといかにもその年齢と社会的地位にふさわしい)物事で埋められ、それが正解だったような気がして生きていけてしまう。本当はそっちこそが正解かもしれない。かもしれない、程度の正解に沿って年齢を重ねることを恐れている。

 

まあたぶんこれが正解なんでしょう、と自分の外側に決定権をゆだねた正解だけで生きていくのがこわい。いや、こわいではないが、うるせえよ、くらいにはかなり思ってる。

 

何から何まで自分で決めたいのか、ということではなく、なら何なのかというと

どうでもよいことは流行に従い、 重大なことは道徳に従い、 芸術のことは自分に従う

という小津安二郎の言葉に尽きる。

芸術といっても自分が作り出すものではなく受け取るものの方にも言えるだろうし、なんなら、美学、と言い換えてもいいかもしれない。

 

No music no lifeを10代の頃マジで豪語していたことはちょっと恥ずかしいから触れないでほしいけどそうだった人たち(私です)。

音楽なんてなくても生きていける。

生きていけるって気づいてそれでも、となった先が分かれ道だったんだろうか。

 

 

 

そういうことがこわくなりすぎて必死すぎて10月は記憶なかったっぽい。

 

20230613

あの会食から1年とは。
フェスタ!&カムバ!って無邪気に楽しんでいたような記憶。ジョングクの髪が短かった。
翻訳を追いきれなくて、TLをスクロールしながら徐々に何となく、察してきたという感じだったと思う。誰かの翻訳と、誰かのRTと、誰かがツイートした芸能ニュースと、を同時並行で見てどこで何を最初に知ったのかの時系列をあんまり覚えていない。
休止、という言葉を見出しにつかったサイトひとつひとつにブチぎれて普段見ない芸能ニュースサイト見過ぎて胸焼けしてた。
その前から、K-POPファン歴長い人たちの雰囲気からなんらかの予兆を感じてはいたはずだったけど、7人を見てこの人たちはどうなっても大丈夫でしょと思っていた。確かにこの人たちは大丈夫だけど、自分は大丈夫かは考えてなかった。
まあ別に大丈夫ですけど。
インスタのストーリーズに長文書いたりした。

ホビさんが先陣を切ってLollapaloozaを成功させ、ジンくんがシングルを出して兵役に行き、ソロアルバムが4人から出て、末っ子はインスタに飽きたらしい。


で、1年。
全然、普通に好きだなって思ってる。
好きというのがなんの引っかかりなく100%で出てくる。他人に証明したいとも思わず、自分で自分の気持ちを疑うことなく出てくる。なんの引っかかりもなさすぎて、意識しない。
普通に1番好き。普通に特別好き。
空が青い、飼い猫が可愛い、月曜がつらい、BTSが好き。特別の反対としての普通ではなくて、イレギュラーの反対として、それが通常営業という意味で、普通に好き。それが自分の普通という意味で普通に好き。

 

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久しぶりに7人揃っている!と思って観始めたら、あまりに当たり前に好きで、「なんだ〜」と思ってしまった。なんだ、やっぱりね。なんも変わってないじゃん。結局好きじゃん。改めて好きとかじゃなくて、それでも好き、でもなく、ずっと好きなまんまだったんじゃん。
聞き慣れた声が7人分聞こえてそれだけで全部だった。
意味をほぼ理解できていない言語の話者に親しみをおぼえるのは、よく考えると不思議な気もするし、でも理由を考えると当然の気もする。
単に声だけじゃなくて、意味わかってないくせに、聞き慣れた会話のリズム。7人の口調とかテンポ。
正直1回目は何と言っているのか字幕を追うのに精一杯で、2回目以降でようやく意味以外を追ってる。でもそれは単に確かめるみたいな感じで、つまり、何と言っているかがわかれば、あとは誰がどんなタイミングでどんな表情どんな仕草で誰に向かって言っているのかというのは想定内に進んでいる安心感。気心知れた相手との想定内な会話の安心感に似ている。

 


好きになったのが7周年のフェスタの後だったから、今年で3回目のフェスタだ。
3年ってこんな感じなんだ~と思ってる。
それを今総括しようとは思ってなくて、とにかくこんな感じなんだ~とだけ思っている。
3年、って私の中では長い。1番入れ込んだグループを好きになってから解散を見届けるまでが1年と1,2ヶ月だったから。毎年恒例なんて行事の記憶は当然なんもなかった。それと比べると長い。
推しがたくさんいる人間として比べるなんてとても野暮な行為だと思いますが、どっちがいい悪いではなくて今は今で新鮮だなって思ってるところ。3年も経ったのに、3年経ったということがまた新鮮でわくわくしてる。
今しかないからこそ素晴らしいのだと思っていたよ。あのときは。
今しかないからこんなに輝けてこんなに熱量を上げられるのだと思っていた。一生アイドルでいてほしいと思うなんてひどいことだと思ってた。
アイドルとファンが一緒に未来を考える、なんてそのときの自分に言ったら想像できなさすぎて信じないと思う。
未来を考えるということは過去を考えることでもあるらしい。
ある程度の長さを共にすると、お互いの過去にお互いが含まれてしまうらしい。
付き合いは長さじゃない。
なんてよく言うけど、過去と未来まであるつながりの強さというものがあるんだなと感じている。
今だけどんなに強く思ってもそれとは代えのきかない、短くて濃いのとはまた別のつながりの強さ。
当人次第のものと、勝手に流れてしまった時間によるものの、両方が合わさった強さ。

最近は持続可能な推し方を考えています。
細く長く、っていうものでもない。
自分の過去にも未来にもいてほしい。そして過去と未来を共有させてほしい。一緒に過去を思い返したいし、未来を楽しみに待たせてほしい。
結局それって、自分の過去と未来もちゃんと更新してかないといけないんだよなと思ってる。その中に好きな人たちを織り込んで。
彼らによってめちゃくちゃ泣いたり笑ったりして生かされながらも、それはそれとして関係なく生きていくしかないような気がしてる。
なぜか突然概念的かつ大局的な話になってしまった。

 


7人みんな、しきりに「“BTSとARMYが”10周年」と言う。
これが本当にすごいなぁと思ってる。ファンダムに名前をつけること自体はめずらしくないけど、「みなさんのおかげで自分たちがいます」という言葉だってめずらしくないけど、自分たちの活動、ではなく、自分たちとファンの活動だとここまで言い切ってしまうのが素直にすごい。言うこと自体は簡単だけど、その徹底ぶりが。その結果作られているものがすごいというか新しいと思う。
名前の付いたファンダムの一部であるとき、今まではそのファンダムに参加しているというような、チーム名みたいなイメージだったけど、バンタンの呼ぶARMYって少しちがう。言ってみれば、個であり全、全であり個?いやわかりませんが…
私個人はまだ3周年ほどなのに、ぼくたちが10周年だと言われても自分が該当しない疎外感がない。といってももちろん私も10年なんです~と思ってるわけでもない。
彼らの呼ぶARMYというのはつくづく不思議。

 

youtu.be

3年も経つとさすがに最初に好きになった曲を日常的に聴くこともなくて、Dynamiteを聴くと好きになったばかりの頃の気持ちがよみがえってくる。
何か全く新しい世界が急に目の前にひらけたようだった気持ち。
見るもの聞くもの全部が新しくて刺激的で、いくら調べても尽きなくて、とにかく何もかも全部知りたくて必死になってた。
それはこのDynamiteという曲にあまりにぴったりで、Dynamite新規だなんてちょっと引け目に思ってたりしたけど、今ではこの曲で新規になって良かったなって本当に思ってる。


10周年おめでとうございます。
その数字の重みに何を言ったら相応しいのか全然わからないけど、こんな素晴らしい数字に立ち会えたことがまず素直に嬉しくて、そしてその先が彼らにも自分にもあるのだろうと思えることに今は安心の気持ちが大きいです。嬉しいと安心がメインなのかな。

数年後の約束ができるってロマンチック。

ジャニオタにはならないと思っていたのに落ちてしまったSixTONESの沼

女性アイドルを好きになって11年、男性アイドルを好きになって2年半、遂にジャニーズに魂を売ってしまった。


SixTONESさん
DISCOGRAPHY | SixTONES(ストーンズ) Official web site
アイドルが好きです。
可愛いもかっこいいも。正統派もバラエティも。性別年齢国境問わず。

でもジャニーズはちょっと別枠だったんです。
ハードルというか、歴史も独自の文化もありすぎて簡単に手を出してはいけない感じ。
「推し」という言葉より太古の時代から「担当」って言葉があるのに、よその人間がよその言葉で○○くん推しとか言えない。かといって急に我が物顔で担当とも言いにくい。(でもジャニーズ本人たちも結構「推し」言ってる?)
あとJr時代から成長を見守って応援している人たちの中に、よそ者が今さら入るのも申し訳ない。
そして勝手なイメージだけど、ジャニオタさんてジャニオタであることがもう肩書きでアイデンティティじゃないですか。「わたし最近ちょっとジャニオタっぽいかも」とかない、0か100じゃないですか。
バンギャとジャニオタには気安く関わるなっておばあちゃんが言ってました。ジャニオタはファンをやめることを担当を降りると言い、バンギャはあがると言うと昔聞いたことあるけど、今もそうなのかな。



最初のきっかけは松村北斗さんでした。
なんとなく見ていた歌番組に、彼がフチなしのシンプルなメガネをかけて出演していたのがきっかけでした。私は顔の良い人間が髪も服もバチバチにキメた上でかけるシンプルなメガネが好き。それにまず私はああいう薄い顔が好き。
その場で即「SixTONES メガネ」で検索した。
そう、今思えば沼に落ちる1番最初の「これ誰?!」が松村北斗さんでした。彼には本当に足を向けて寝られないし一生許さない。

1年以上前だ。
そこからあっという間に沼の底へ…なんてことは全然なく、ハマるなんて全く思わず過ごしていた。
歌番組に出てるのをちょっと意識して見る程度だった。

でも、そのちょっと意識して見る程度でも、徐々に思い始める。
もしかしてこいつら、めちゃくちゃ仲良しでは…?

それで気が向いたときに、他のアイドルついでにyoutubeを検索してみるようになった。
この人たち、自分たちで自分たちにウケちゃってる。カメラに向けてじゃなくてメンバー見て笑っちゃってる。俺は仲良いアイドルも良くないアイドルも推したからある程度は鼻が利くんだ。お前らお互いのこと好きなのバレバレだぞ。顔に出てるよ。
松村さん以外はろくに顔も覚えてないのに、見てて楽しいなぁと思った。
このグループを見る理由ができてしまった。


それで本業の彼らを1度きちんと見ようと思い、MVを見る。


そこで次に覚えたのが田中樹さんでした。
すみませんリアコです。
何よりGood LuckのMVでした。シンプルな背広に薄い背中、なで肩、華奢な首と手足。そこにピアス。あ、これたぶん昔やんちゃしてた人のスーツ姿だ。そういう似合い方だ。
たぶんこの人のファンほぼそうだろうけど、この体型好きです。細いというより薄いというようなこういう骨格、まじで好きです。
え、なんで今まで歌番組観てて気づかなかったんだろ、と過去の自分の視力を疑った。今思えば沼落ちのど真ん中を突き進んでいる。
このグループを見る理由が増えてしまっていた。


そして、樹さんが男5人兄弟で揉まれて育った4番目であることを知る。MCを主に担当していることも覚える。
おいおい。ちょっとやんちゃっぽい派手さがありながらも実は努力の人かよ。好きです。

さらに、そんな樹さんと人見知りの北斗さんが、仲の良い同い年で誕生日が3日違いであることを知る。待ってくれ。とばしすぎ。私の少女漫画人格がエンジンをふかし始めてしまう。

このグループを見る理由がどんどん増えてしまった。


だんだんと他のメンバーのことも覚え始める。
6人の始まりはバカレア高校の共演と知る。それを「またこの6人でやりたい」とジェシーさんが声をかけて結成に至ったことも。
そうなのか。
彼ら事務所の方針ではなく自らの意思で一緒になったというんですか。それから1度のメンバーチェンジもなく今日まで。ちょっと泣いていいですか。



気づけばこのグループを見ない理由がなくなってしまった。

おにぎり一口食べただけで騒ぎになるところとか

 

盛り上がりすぎて本題に入る前にカットされまくるところとか

 

自分たちだけでおもしろくなっちゃうところとか

 


このグループ、すぐふざけるしとにかくうるさい悪ガキ感あるけど「不良」ではないのが良かった。男子の悪ノリって感じ。
喧嘩卍 筋肉👊🏻じゃなくて、教室で男子うるさいよ!のやつ。めちゃピースフル。
そんな自分たちのキャラと魅力を、全員が分かってるのも良かった。
そこへきてぶちかまされた新曲が「ABARERO」

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まじでありがとうございますと思った。完っ全に解釈一致してた。

アイドルなんて、事務所の戦略的な作り物じゃないですか。
ガチガチにコンセプトがあって、本人の意思なんて二の次三の次で、グループ内だって異なる個性が主張し合って、世間からは色眼鏡で見られる。
でも、そういうのとメンバー全員の向いている方向がバチーンと重なり合う奇跡が絶対にある。

この曲、たぶん“バズる”こと狙って作られてないと思う。
こういう超メジャーな人たちがカラオケで盛り上がる用じゃなさそうなA面曲出すと、ちょっと信用してしまう。

 

 

アイドルのことを疑似恋愛とか、さすがに最近は言われないのかな。
女の子アイドルから入った私にはさっぱりわからなかったけど、これは半分ちがってて半分は合っている気がしてる。
私にとってアイドルグループは、疑似友情なのだ。
女子グループで楽しいことするわくわく感で地下アイドルが好きだった。
友人たちがわいわい喋るのを楽しく聞いている時間と、好きなアイドルたちが楽しそうにわいわいする映像を見ている時間、私にとっては同じ幸せ。たぶん脳から同じ幸福物質が出ている。

そんなことを言うと「本当は~」とアイドルの裏の顔とか言いたがる人もいるかもしれないけど、私は友人のことだって100%を知っていられてるとは思わないから、結局同じだ。

画面越しじゃなくて本当の人間関係を築いた方がいいよ、というご忠告もあるかもしれないけど、だから“疑似”友情つってんだろ、へぇあなたはご友人と“本当の人間関係”を築けている自信がおありなんですね、相手もみんなそう思ってくれてるといいですねぇと煽りたくなってしまうので黙ってyoutube見ます。


とにかく、そんな幸せを感じられるアイドルにまた1つ出会ってしまった、それがSixTONESでした。

 

とはいいつつ、グループ仲が本当にいいなんてそうないとも思ってる。
これは偏見というより、不安や悲しい思いをしたくないための自衛みたいなものでもある。
ジャニーズ今いろいろ大変みたいじゃん、好きになって悲しい思いしたくないでしょ、って自分の中の慎重派がささやく。
そもそもジャニーズなんてさすがに文化違いすぎない?本当に楽しめる?とかもささやいてくる。
だけど、あーなんか、SixTONESのこの楽しさにはもう身を委ねちゃっていいかもと思った。沼の淵ぎりぎりでつかまっていた手を離しちゃった。
タイトルに落ちてしまった、って書いたけど、こういう受け身なのはよろしくないな。落ちたのではなく自分で飛び込んだのだ。 
もうこうなったら幸せも悲しみも共にしてやるぞ。




以下はメンバーごとの感想。最初の2人以外はほとんど同時に覚えたので順不同です。

松村北斗さん
曲の世界観を表現できるという意味で、お芝居もできる歌手や役者の歌手活動が好きなのですが、彼のパフォーマンスはそういう良さなのかなと思った。
自分がキラキラ目立つためではなく、自分を使いどう曲の世界を解釈して表現するか、という類のパフォーマンスだと思う。視線の1つ1つにも意味を見出したくなる人。

後追いでネットで知ったんですが、アイドルについての彼の言葉で「宛先のわからない手紙を先に書いておいて、それを必要とする人がいつでも手に取れる」(PICT UP 2021年4月号)というものが忘れられない。
この人の世界の解釈をいくらでも知りたいと思った。

最初はクールな人かと思ったけど、基本いじられたい人だよね。




田中樹さん
MCに限らず要領が良さそうな人。どちらかといえば器用貧乏な人な気がする。少女漫画だと本命にならなそうなね…個人的には大好きですね…
雑誌のインタビュー(これもネットの後追いですが)で「自身の“男として罪だな”と思うところは?」というまあまあベタな質問に
「いい訳やウソが得意なところ」
と答えているのを見た衝撃からはもう立ち直れないかと思いました。

youtube寝起きドッキリ企画で見事に逆ドッキリを成功させた回(*1)が良すぎてしばらく連日見てた。
「上手いことしてやった田中樹」が私は好きなのかもしれない。その後これは寝坊しているが。


そんな軽薄な好きで見ていたけど、実際知れば知るほどプロのアイドルっぷりに感動してる。
アイドルであることにこだわって誇りを持っていると思う。きっとここに来るまでには様々な覚悟があっただろうし、意地もあると思う。
アイドルが/ジャニーズがラップかよって今でもきっと言われることあると思うけど、それらの全部を糧にし続けてほしい。

 



京本大我さん
歌も踊りも上手い。身体の使い方が大きくて軽やかで好きです。ミュージカルの舞台の経験が活かされてるのかな。最も言葉通りの意味で芸能の人。
言わずと知れた京本政樹さんのご子息。
育ちの良さに見える、マイペースさ、丁寧さ、にじみ出る品の良さがとても良い。最初年下メンバーだと思ってた
「なぜかやんちゃグループとつるんでる育ちの良い優等生」という大大大好きなやつが、まさかここでも見られるなんて。
金髪でも品が良いというのは才能です。ハーフアップまたやってほしい。


ここで知るのが、京本さん北斗さんの不仲。
これが公然というのがすごい。仲良し、だけでなく、不仲、まで含めてしまうグループなのか。
本人たちが言いまくる、肯定しまくる、というのは余計な憶測をうまなくて上手いやり方なのではと思ったが、これは全体の仲の良さが充分にないと成り立たない。
嫌いじゃないけど接し方がわからない、会話がうまく続かない、でも仕事は認めあっている、という感じなのかなと認識しています。
ファンがそっと無理がないように2人のこと応援している空気にほっこりしている。
というか他が仲良すぎてこの2人が目立ってるだけの可能性もない

 



ジェシーさん
でけえ。身長も声も存在も。
陽キャすぎてこわいけど、陽キャの陽は太陽の陽なのだ、とポエムをしたためそうになる。
ジェシーさんの笑い声を聞きたくて今日もyoutubeを開いてしまう。
アイドルであると同時にパフォーマーだなと思う。ステージ映えする人だし、それをものにしている。笑っても歌っても黙っても人を魅了できる。
こういう単体でも完成する人がグループの中で浮くのではなく、全体を底上げするようにして先導してくれるの素晴らしいと思う。逆にいえば、こういう人を取り込むだけの力量があるグループってことなんだよな。
絶対スターになってほしい。光の方だけを見ていてほしい。
そのためにたくさん応援したいと思わせてくれる。

田中樹さんのような頭で考えてアイドルをやっている人とは対照的で、その2人がお互いのこと完全に認め合って頼りにしているという事実、私のアイドルオタク人格と少年漫画人格が手を取り合って感動してしまう。背中合わせで戦ってくれ。


そんでビビりで、実はすごく気配りをする人で、人を喜ばせるのが好きそうなところ、大型犬みたいな可愛さの人だ。
Mr.ズドンって何?


髙地優吾さん
普通の人っぽさとあざとさのどっちの魅力もある。
メンバーに昔から顔変わんないよねと言われていたけど、そういうのってどうしてこんなに微笑ましいのだろう。
最年長がいじられるグループはいいグループに決まってます。これは森羅万象に通ずる法則です。勝手な想像だけど、グループの均衡が内側からこの人で保たれているところがたぶんある。
自己紹介で1人だけ飛ばされて俺がまだだよ!っていうお決まりのやつがあった際に、髙地さんのツッコミが「俺を忘れるなよ!」とか「最年長を飛ばすなよ!」とかではなく「おいおいおい、SixTONESは6人じゃん」と、主語が自分ではなくグループだったことに感動した。(*2)
そういうツッコミはどこでも成立するわけじゃないよ。

 


森本慎太郎さん
でけえ(2度目)。
小学校でクラスに必ず1人いた年中Tシャツ短パンの子に大人になっても出会えるとは。
調べる前からあっ絶対最年少だなと思った。
末っ子が末っ子っぽくいられるグループはいいグループに決まっています。これは森羅万象に通ずる法則です。
いいヤツ感がいつも見え隠れしてる。隠れてはないか。まる見えか。
ガタイの良さに気を取られて実は綺麗な顔立ちをしていることに気がつくのが遅れる。やはりアイドルだ。
ジャニー喜多川さんから最後にかけられた言葉が「YOUほんとブサイクだね」だったという話(*3)で笑ってしまう。
メンバーみんなのことが大好き!というのを隠さない彼の存在が、ジェシーさんと並んでグループの素敵な空気を作っている。6人しかいないのに太陽が2ついるグループだ。

ジェシーさんのことはゴールデンレトリーバーに見えるときがあるんだけど、森本さんは秋田犬に見える(個人の感想です)。

 




クラスメイトだったら仲良しグループは別だったんじゃないかみたいなタイプの人たちが、影響を与え合い、化学反応起こして、けれどもそれぞれが独立してグループとして歩んで「メンバー」という唯一無二の関係を築いているアイドルという存在、愛さずにはいらんないよ。
6人が6人だけのノリでずっと結びついていてほしい。

うわ〜
気がつけばメンバーのこと顔と名前が一致するどころか、関係性を考え出すどころか、幸せを願い未来を願い始めてしまった。

 

 


バンドが好き→地下アイドル(女性)追っかけ→国民的アイドル(女性)が好き→K-popアイドル(男性)追っかけ、ときて遂に、とうとう、ジャニーズまで来てしまった。行きつくところまできた感じがする。
たぶん今後もジャニオタを自称まではしないと思うけど、でももはサブカルの人間とも自称できなくなったけど、アイドルオタクとして遂にジャニーズを履修できてうれしいです。
伝統のある国民的アイドルでもたらされる幸福度やっぱすごい。

あとデビューして3年というギラギラ感と、場数を踏んだ安定感が両立しているのが個人的にありがたかった。
デビュー前にジュニアとして活動するのって、単に技術的な練習や顔を売ることだけでなく、彼らがアイドルとして愛される経験を積むことにも意味があるんだろうと思う。
ジャニーズ事務所いろいろあるのだろうし改革が必要なところも多いとは思うけど、この下積みのシステムやたての繋がりはやっぱり大切なものだと思う。

 

あともし事務所がYouTube始めてくれてなかったら私はSixTONESのこと「メガネの顔が良い人がいる」で100%終わってたから、その改革だけでも本当に感謝です。




青文字系の服着てライブハウス通ってごりごりにサブカルこじらせてた頃、「音楽なんでも聴くよ~。まあさすがにジャニーズとかでなければ(笑)」とか、絶対言ってた。その頃の自分に今になって首を絞められている。
まじでファン層もコンテンツも対極の世界にいたから、よくたどり着いてしまったな…という気持ち。どっちかを否定したいわけでも両方全肯定できるわけでもないけど、なあなあに折り合いつけてる。
正直ジャニーズ好きな女子のこと、あなたたちはマジョリティで私はどうせマイノリティ、みたいに無関係の存在と思ってたよ。もっと言えば没個性の、量産型の、無難なつまらない女子でしょ、周りにつられて好きになったんでしょ、みたいなくそ失礼な印象を(本当にすみません)(私は私で普通の量産型サブカル女子でした)持ってたけど、すっかり社会人になっていろいろな人間と接していて思うのは、「ステージを鑑賞する趣味を持つ人」ってそれだけで限られた人だということ。
本当の敵(何と戦ってるんですか)は、エンターテイメントをくだらない流行りものだと軽んじる人たちであり、我々は推す対象が何であれ共に戦う同志(なんで戦ってるんですか)なのだ。みたいなことを思います。
あでも宗教戦争っていうのは同じ神を信じる者の間で起きるんですけどね。




沼落ちの話を読むのが好きなのでそういうもののつもりで書き始めたのに、意味わからないまとめ方になってしまった。誰が最後まで読めるんだ。
もし読んでいただいたジャニオタさんスト担さんがいらっしゃいましたら、こういう人もいるのねとどうか寛容な心で受け止めてください…勝手な想像でいろいろ書いたけど間違いがあればご指摘ください…

 

 

 

 

(*1)

www.youtube.com この逆ドッキリ場面良すぎて0.5倍速とかまでしました
1回目の寝起きドッキリも好きすぎて、樹さんと隣で呆けている北斗さんのセットを10回見て10回笑い転げてる。でも寝起きに水風船くらった後でなんで樹さん顔崩れないの。

 

(*2)

www.youtube.com 6人分の自己紹介でこのボケの量はシンプルにすごいしうるさい

 

(*3)

www.youtube.com実際見たことないはずのジャニーさんの口調をこうして知っていくのは恐らくジャニオタあるある

 

 

20230309SUGA

※ミンユンギさんのお誕生日によせてと見せかけてAgustDの楽曲が好きだと書きなぐる投稿です。

 

 

 

7人のソロ活動が発表されてから全部に驚かされてきたけど、飛びぬけて驚いたのがSUGA、AgustDのワールドツアーでした。

 

 

AgustDのセカンドアルバムD-2、推し関係なくめちゃくちゃリピートし続けるアルバムになっている。曲単体でも相当作り込まれて、アルバム全体でも構成とか流れとか緩急の付け方とか、とにかく完成度が高い最高なアルバム。
初期衝動的な1枚目から作り込まれた2枚目への変化もいい。そういう違いは人間臭い。均質に作られたプロのお仕事より感動してしまう。
というのを置いておいてもただ単に好き。


今までラップってよくわからない音楽だった。
メロディもなくリリックを並べ立てられているのを聴いていてもついていけなくて、どこに自分を乗せて何に感情移入すればいいのか、上手い下手は何なのか、正直言って意味がわかってなかった。


ユンギさんのラップは、私が今まで聴いてきたHIPHOPで一番近しい存在になった。
ユンギさんのことを知っているからわかった。ラップという表現を必要としている人がいて、それでなければできない表現があるのだということを実感した。
聴いていると最強な気分になれる。たぶんユンギさん自身が最強だって思えてやっているからじゃないかなと思う。一番生き生きして見える。ただの妄想だけど、そういう気になれるというのは私の知ってる音楽と何にも変わらなかった。

 


意味わかってなかったとか書いたけど、よく考えればギターの弦が鳴る音やエイトビートやベース音を傾聴することだって意味はなかったし、意味がなくても意味があることが音楽だったなと思う。
AgustDの音楽が、私がラップを自分の音楽として聴けるようになるきっかけになってくれた。
(音楽に限らず、芸術、創作物を「理解するために考えて努力をする」というのは本来鑑賞には必要なことだと思う。なんでもかんでも「頭ではなく感じたままに」というのは賛同できない。小説でも、映画でも、絵画でも。もちろん古典作品を理解することとアイドルの周辺知識を蓄えることはまるで違うし、この場合はただ沼っただけかもしれないけど、とにかくわからないものがわかるようになる、というのは無理して好きになることとは絶対に違う。)

音楽って、これは自分の音楽だと思って聴けるものがある。
気分をあげてくれるBGMとしてじゃなくて、感情に直に食い込んでくるような、聴いているときにその音楽と自分がぴったり合わさってしまうようなものがあって(ってわざわざ書くととっても恥ずかしい。音楽目覚めたての中学生かよ。いいけど)、私の場合はどちらかといえば洋楽より邦楽に、古いものより時代の近いものに、聴き馴染んだバンド音楽に多いけど全部じゃない。
ラップというジャンルが、自分のそういう音楽の一部になったことがうれしい。それのきっかけになってくれたアーティストAgustDに感謝している。

あと思ったのが、私はもともと日本語ロックが好きで、日本語ラップも(わからないなりに本場のHIPHOPよりは)好きだったのですが、それは「母国語の音楽」として聴いていたのではなく、「非欧米圏の音楽」として聴いていたのでは。というのがちょっと発見だった。
AgustDにというより、ラップラ3人経由で知った韓国HIPHOPを聴いていても全体的に思う。あとバンタン関係ないけど台湾のバンドも好きなんですけど、そこでも同じことを思う。
自分が洋楽邦楽で分けていたときにあったつもりの境界線は、実際どこにあったんだろう?
アジアのインディーロックもポップミュージックも全部もっと流行ってくれないかな。

 

 

 

デチッタのMVってなんなんですか?いや、なんなんでもなくMVなんですけど。

バンタンを知った一番最初の頃、youtubeの関連動画にこのMVがずっと出ていたのに、どう見てもMVのクオリティじゃないからBTSのSUGAが別名義で映画のタイアップ曲かなんかに出演したのかと思ってて「じゃあBTS本体とは関係ないか」ってかなり長いことスルーしてた。
ていうかいまだに、私が大吹打という映画の存在を知らない世界線にいるだけで実はあると言われても「やっぱそうか」と全然信じると思う。ジンくんとジョングクが友情出演してて。

あんなん出されたら、これからAgustDにめちゃくちゃ力入れて活動していくのかなとも思えるのに、特にないまま時が経ちその間のAgustDのニュースと言えばソウジュコンで披露されたことくらいか。それも大ニュースではあるけどこのMVのスケールにはそぐわないような。
ユンギさんにとってどの程度力を入れてやるべきものだったのかよくわからず、だから期待していいのかしない方がいいのか。
ソロ活動で、新しいアルバムを出してくれないか少---しだけ期待してたけど、ユンギさんはあまりメインでやるつもりはないのではないか、もしくは細く長くやるためにあまり早急に期待してはいけないのではないか、AgustDはアイドルではないからあまりファンの期待に応えるための活動はしてほしくなかったしやっぱり期待しない方がいいのでは等々、だから何というわけでもなことを一生考えてた。

そこへきて単独ワールドツアーは感情がヒートショックで死ぬ。

自分が会える会えないじゃなくて、ミンユンギさんがSUGAとAgustD名義のこれまでの楽曲を世界中で披露したいと決断したことが、ものすごくデカい。曲を作って歌うアーティストであることが、それほどまでに大事なことなのだと改めて見せてくれたことがうれしい。期待していいんだなと思った。

ユンギさん、今年1年最高の年にしてください。
あなたの音楽の一ファンとして活躍をめちゃくちゃ楽しみにしています。

 

20230218J-HOPE

アイドルとの距離感は正解がわからない。

完全にステージの上の完成されたキャラクターだと考えるのは、アイドルが1人の人間であることを忘れているみたいだし、身近にいる人と同じような感覚で好きと言うのも、それこそ距離感を間違えてるような気がするし、画面の外の顔まで知りたがるのは良くないけど、わかりやすい表面上だけ見て騒ぎたくもない。

我らが希望 J-hope さんは、芸名と本名の境界が特にはっきり築かれていて、実際オンとオフはしっかりつけたいと言っているし(言われなくても見ればわかるが)、誰よりも距離感を間違えてはいけない相手だなとずっと思っている。

写真集のコンセプトを見て、なるほどそっち側か、了解ですと思った。ありのままの本当の僕を見せたい、身近に感じてほしい、ではなく、見たことのない新しい姿を見てほしい、それも他でもなく自分の内面から生み出したもので見てほしいんだなって受け取った。
自ら作り上げた「アイドルJ-hope」を私たちは楽しむ距離感でいいんだなって思った。
ホビさんはいつもそういう線引きとか位置とか明確にしてくれる。
BTS・J-HOPE、写真集『All New Hope』のコンセプトフィルム公開 – THE FIRST TIMES



ソロ活動、曲もアートワークも全部良かった。
最初から今までのポップで明るい J-hope 像を壊そうとしていてぶったまげたけど、逆にこれからもJ-hopeであり続けるためなんだろうなと思えてうれしかった。まさかバンドマンのJ-hopeを見れる日があるとは…ダンス以外のJ-hopeさんなんてありえないと思ってた。こちらの想像をいつも越えてくる。越えてくるんだろうなという想像ごと越えてくる。
そうやって壊したからこそ、新しい魅力とそれでも変わらない魅力の両方を知れた。
日々いろんな感情を抱いて変わり続ける人間であることと、作られた世界であることは両立するんだなと知った。

 

28歳のJ-hopeさんの中で何より大きいのはやっぱりLollapalooza、韓国アーティスト初のヘッドライナー出演でしょうか。
そっか、そうだよな。「1位」を取った人たちが次に行くステージがあるとするなら「初」なのだ。そうやって初を生み出した人たちが新しい世界を作ってきた。
前例とか前年通りとか、仕事中に口にしている自分ってBTSと比べたらめちゃくちゃダサいのでは? いやBTSと比べたら大抵の人類はダサいかもしれないが。そもそも私は初の前に1位も取ったことはないが。

 

 

ホビさんは本人も公認の彼氏感のある写真の名手である。
笑顔とファッションのおかげだと思ってたけど(それも大いにあるだろうけど)、写真に写るホビさんはどこか隙がある。それが、すごく絶妙だなと最近気づいた。
撮られるために笑っているのではなくカメラを持っている人に笑いかけているように見えたり、一緒にいる人のスペースが感じられるような写真だったり、思わず話しかけたくなっちゃう隙だったり、人といる意識はあるけど撮られる意識がない顔だったり。
そういうのが本当に絶妙だ。

グループでいるとき常に全体のバランスに気を配り一歩引く、7人で並ぶときにはいつも端に立つ、そういう細やかさがにじみ出ているからなんじゃないかなと、だからこの人のそういう写真が好きなのかなと思う。
(ナムジュンさんの写真にもそういう空気があるけど、ホビさんとはまたちょっと違う。クサズのこの違いって、それぞれの考える「自然体」の違いなのかもしれないというようなことを一生考えているのが幸せでオタクの自家発電能力はすごいなと我ながら思います)

 

そんな人がソロ活動で先陣を切り、アメリカで韓国人初のステージをソロで成功させる。

 

アイドルJ-hopeから私はなによりもプロ意識、本気を教わってる。教わるというか、本物ってここまでやるんだって見せつけられてひれ伏してる。
それが「よくやるわ」「自分にはここまでは無理っすわ」ってなりそうなところでならないのは、不意打ちの隙と笑顔を見せられてしまうから。
歌手でありラッパーでありダンサーでありアーティストであるJ-hopeさんが、それでも「アイドル」であるのはそういうところだって思う。

 

悔いのない1年であればいいな。

お誕生日おめでとうございます。素晴らしい29歳であることを祈って。