誕生日の月は調子が良い、という自分にしか通じないジンクスが今年は11月になった模様。融通の利くジンクスで助かる。
10月の記憶があまりなく、あまりないということはないだろうと手帳を見返したところ、表参道と荻窪でライブを見て、上野でキュビズム展を見て、アメリカのバンドと韓国のバンドと北京のバンドをよく聴いており、上司に連れられて赤坂の豚肉がおいしいお店に行き、くらちゃんみにょちゃんと東京駅で小籠包を食べ、歯医者でセラミックの詰め物を施し、月末に神保町の古本市の収穫でほくほくしていた。むしろ割に充実してた。
今年は平均して月1.2回ライブに行っている。
サマソニに行けたのも良かった。
やろうと思えばできるはずだけどやったことないからやってなくて、別にやらなくても困らないでも絶対やった方がいいし、それなら早い方がいいと思う。ということのひとつが夏フェスに行くことだった。
大昔にロックインジャパンとか、ベイキャンとか、行ったことがないわけではなかったけど、鉄板のとこ行けて良かった。
これは飲みたいと食べたいとライブ見たいを全て叶えようとしているところです。
フェスではないけど、BiKN shibuyaも行けて良かった。1日でアジア各国のバンドがいろいろライブやるイベントでした。インドネシアと北京と韓国と台湾のバンドを見た。
もともと知っていたバンドばかりではなかったが、この日のためにたくさん聴いた。聴いた分好きなバンドが増えて、好きになるたびに「このバンドのライブ見れるのか」「このバンドもこの日に見れるのか」と毎度新鮮に浮かれた。
好きな音楽が増えるなら順序はなんだっていい。先にチケット取ってからだっていい。
これは釜山のバンド、say sue me。
そういえばピンクのジャージのズボンが可愛くてまた浮かれた。
少なくとも6年以上ぶり、もしかすると8年ぶりとかでtheピーズのライブにも行った。そんなに久しぶりとはいえ、数えようもないけど、これが1番多くライブに行ってるバンドなのは確かだ(チケットが取りやすくライブが行きやすい、という理由はあるが)。
知らん間にドラムとベースが新顔になってて、メンバー3人だったはずが4人になってて、ギター1人のはずが2人になってて、ベースボーカルのはずがギターボーカルになるなど変化していたが、総じて感想が「変わってなくて安心した」だったのが良かった。
今のドラムの人いいなあ、他どこで叩いてるんだろう、と思って調べて聴いたバンドのひとつがすごく良くて、気づいたらそれから数日のうちにワンマンのチケットを取っていた。
そのバンド、曲が普通にめっちゃ好きということのみならず、ドラムとギターボーカルが幼馴染で、高校生の時に2人でピーズのコピーやってた、って話見て完全に全部好きになってしまった。
マリというバンド。検索しにくいバンド名はやめてほしい。でも由来が同じく幼馴染のギターの実家の犬の名前らしくて、なら仕方ないねとなった。
ワンマン楽しみ。
2日連続ライブ行く日程になってしまったが、できればそれは避けたかったのだけど仕方ない。
場所が初めて行くzepp shinjukuと、これまた少なくとも8年ぶり、もしかしたら10年ぶりとかで行くbasement barなのも楽しみ。
***
行きたいライブは、今のうちに行けるだけ行こうと思っている。
聴きたい音楽は聴けるだけ聴きたいし、行きたい美術館も行けるだけ行きたいし、読みたい本は読めるだけ読みたいと思ってる。観たい映画も観れるだけ観るようにもしたいが、まだちょっとそれができていなくて反省。来年へ。
文化的な趣味を忘れることを恐れている。
あと物価高騰とか親の健康とか5年後の自分の仕事と収入とか加齢による身体の変化とかも恐れてはいるが、根本的に私はなんとかなっちゃうと思って生きている。そしてこういうことがなんとかならなかったとき、それはなんとかならなかったという明確な答えになってくれる。
趣味なんて、カルチャーなんて、別に忘れてしまってもなんとかなることはわかってる。そうしてなんとかなることを恐れてる。
たぶんそこでなんともならなくなって、ああ自分があのとき趣味を忘れてしまったからいけないんだ、とはならないのだ。そんなわかりやすい答えにはなってくれない。
趣味を忘れた先の時間は、それ相応の(きっといかにもその年齢と社会的地位にふさわしい)物事で埋められ、それが正解だったような気がして生きていけてしまう。本当はそっちこそが正解かもしれない。かもしれない、程度の正解に沿って年齢を重ねることを恐れている。
まあたぶんこれが正解なんでしょう、と自分の外側に決定権をゆだねた正解だけで生きていくのがこわい。いや、こわいではないが、うるせえよ、くらいにはかなり思ってる。
何から何まで自分で決めたいのか、ということではなく、なら何なのかというと
どうでもよいことは流行に従い、 重大なことは道徳に従い、 芸術のことは自分に従う
という小津安二郎の言葉に尽きる。
芸術といっても自分が作り出すものではなく受け取るものの方にも言えるだろうし、なんなら、美学、と言い換えてもいいかもしれない。
No music no lifeを10代の頃マジで豪語していたことはちょっと恥ずかしいから触れないでほしいけどそうだった人たち(私です)。
音楽なんてなくても生きていける。
生きていけるって気づいてそれでも、となった先が分かれ道だったんだろうか。
そういうことがこわくなりすぎて必死すぎて10月は記憶なかったっぽい。