忙しいと感情が消去法で喜怒哀楽の怒になってぷりぷりしながら退勤してしまう。たまに哀になるのは良くない。
仕事頑張りたくないわけじゃないんだけど、自分の考える頑張り方で頑張るだけで頑張ったと評価されて結果出して頑張ったな〜!ってなりたいからだめなんだよな。
決まったやり方しかできないより、するすると周りに合わせられるスマートさには憧れる。そういう手札の多さ。人脈とか知識とかすごい発想というのよりもっと目立たない手札の多さというか。
でもやっぱ自分のやりたい頑張り方だけで頑張りて〜
苦労したくないとは言わないけど納得できない苦労はしたくね~
頑張りたくないわけじゃないんだけど、たまに辞めるの選択肢はちらつく。
でも仕事を辞めたいというか、頑張るのやめたいだけで職場や職種を辞めたいわけじゃないんすよね。職場、辞めようと思えば理由はいくらでも出るんだけど、理由にはなっても決め手にはならない。いいところというか、気に入ってる。居心地はいい。トップの考えに賛同できる。尊敬できる人がうろうろいる。
先日、お昼買いに行こうとしたエレベーターでたまたま一緒になったからという理由で40代と50代の男性上司と3人でランチしたんだけど、普通に楽しく気負わず過ごせて良かった。あー私もようやく「若い女の子」を抜け出たのだなと思った。
あとこれはいいことでもないんだけど、私は「内輪ノリ」が好きなんですよね。
わかる人にはわかる話をわかる人とだけ盛り上がる。オタクがまさにそう。
だから職場の人と同じ専門の人間として話ができるのって大事かもしれない。前提条件を同じにしている人と話せることのありがたさ。プライベートだけじゃ足りないこともある。
あとなんかちょっと変なこと言っても「え〜すご〜い私わかんない〜😂」とか言う人がいない。「へえ、それってどういうこと?」って、わからないことは知ろうとする人、頭がいい悪いで話を終わらせない人ばかりなのはめちゃくちゃありがたい環境。(まあただ、興味のない話を相手を立てながら終わらせるとき「あー私よくわかんないですね~」は言うけどな。)
なりたかった大人になれてる、と思える生活があるのはこの職場のおかげも大きいんだろうな。それなら食いついていかなきゃいけないんだろうな。
繁忙期終わったぜ。気づけば年度も終わってたぜ。
結局私は大暴れできないとだめだ。
忙しい!!!!って言えるだけ働いて、遊んだ!!!!って言えるだけ遊びたい。
めちゃくちゃ忙しくしないとめちゃくちゃ遊べない。これだけ労働したんだからこれだけ遊ぶってなれるし、ほどほどに働くだけではほどほどに遊ぶだけで満足してしまう。
でもほどほどじゃダメか?
私、別に派手なことするタイプじゃない。休日は家から出たくない。金のかかる趣味はそんなにない。服も化粧品も外食も好きだけど、SNSを見てるとどちらかと言えば無くて困らない方だと思う。
ほどほどがやっぱり1番幸せじゃないか?
そう、学生の頃がそうだった。ほどほどにバイトしてその中でそれなりに満足していた。特別我慢して倹約したわけでもない。豪遊したいわけじゃない。
使いたい金額の話をしているわけじゃない。ほどほどに興味の範囲を納めて、自分を合わせていた。それをやりたくないんだよな。外にもっといろいろあるのに、それを見ようとすれば見れるのに。今これで満足してるからいいと考える。行くか迷ったら行かない。やるか迷ったらやらない。そうやって自分で自分のやれるキャパを決めるのが嫌だ。
めちゃくちゃ遊びたい、は時間や金額の数字の話じゃなくて、セーブしないこと。
何を?興味とか。うわ好きかもって思ったときの勢いとか。見つけられたかもしれない好きなものに全部出会っておきたい。根本的に言えばそういうことだと思う。
手札とかキャパとか、突き詰めると同じようなものかもしれない。懐?