きのうみた夢どんな夢

10月の諸々2022

誕生日の月は調子が良い、という自分にしか通じないジンクスを今年も更新した。楽しかった。


近況1

1年半くらいTwitterで仲の良いくらちゃんが東京に来るということで、時間をもらって初めてお会いした。私のあわよくばが叶い、トリちゃんとみにょちゃんの4人で。
ネットの知り合いと会うこと自体は初めてじゃないけど、2年前にこのアカウント作ったときはそんなこと微塵も想定していなかった。♰堕天使♰ みたいなHN(ハンドルネーム)にしなくて本当に良かった(大事故)。
Twitterで知っていた部分は想像通り、知らなかった部分は想像以上に全員最高で、テキスト媒体でこんな人たちと繋がれた幸運に自分で驚いてる。逆かな。テキストから知り合ったから純粋に考え方や価値観で通じ合ったのかもしれない。
4人それぞれ、パッと見のタイプは違う、構成している要素も違う、同じクラスだったら違うグループだったかもしれない。
話が尽きなかった。これ好きでしょ、これ嫌いでしょって探り合わなくても最初から知ってたみたいに話せてた。
私はこれまでの人生で好きなものにこだわることで、人間関係を限定したり偏見を持ったり持たれたりしただろうし、自分で考える自分のタイプが現状とズレててダサかったこともあっただろうけど、最近はそのおかげで仲良くなれたなという人が増えた気がする。人と気が合う、というものの不確定要素が減って「そりゃたしかに私たち気が合うわ」とわかるというか。
そういう人たちに共通しているのは、自立していること、賢いこと、普通こうでしょって言わないこと、自分の中にこだわりを持っていること、その分人のこだわりを尊重できること。自分がそうなりたいと思っていたらそういう人を引き寄せられるようになったのかな。
ついでに言うとこの3人がというわけではないけど、自己愛が強く、ほどよくしたたかで、自分の中で完結もしくは満足する幸せを持っている、なども私の好きなタイプの女の子です。

大きなファンダムでの趣味仲間という出会いは初めてだったかもしれない。
マイナーな趣味を選べばそれを共通点にして人と仲良くなれるから、大きなファンダムではその共通点が意味をなさないと思っていたけれど、ファンダムがさらに大きくなるとその中で通じ合う人と出会える、というのが発見だった。
そういう現象に社会学の名前がありそう。限定されたコミュニティが大きくなることで普遍化し、その中でまた偏向が生まれてコミュニティが細分化し、みたいな?知らんけど。

いやなんの話だ。

会った3人とは歳が7つは離れていて、計算が合っていれば自分が大学に入った年にまだランドセルを持っていた、と思うとちょっと衝撃だった。全然それを感じずに話せて良かった
良かったけど、そういうことを感じるのは年下の側だと思うので気をつけたい。年上の私が「年齢差感じなかった~」を自分で言ってはだめよねと思いました。既に思いっきり言っているが…
できればもっと年上らしくしたかったけど無理だった。
初対面の人と会うときには手土産を持参する、という大人として当たり前のことをようやくこの日学びました。(ありがとうございました。)



 
近況2

説明がめちゃくちゃめんどくせえので全部省きますと、旦那の実家に義両親+私+旦那友人2人、旦那は不在、というメンツで行った
いやさすがに省きすぎた。
義両親が田舎の古民家で週末田舎暮らしをしており、そこに義両親+私+旦那友人2人、旦那は不在、というメンツで行った。
説明を増やしたのに状況の謎さが変わらんな。
 
BBQなどをエンジョイしてサプライズで私の誕生日を祝ってもらってしまった。旦那のお祝いの気持ちも、海の向こうから現金に換わり高い牛肉に姿を変えて登場。
私はビールの6缶パックを手土産とし、肉を食べケーキを食べ、出されるままビールを飲み赤ワインを飲みチャミスルを飲んだ。
後半酔っぱらって詳細覚えていないのだけど、レコードを聴きながら「oasisを卵だとすると鶏はBeatles。ではBeatlesを卵とすると、」だとか「Queen的なバンドはなぜ出てこないのか」というような話をしていた記憶がある。義両親+私+旦那友人2人で。
好きなものにこだわり続けたおかげでこういうところに嫁げたのだろうか。
あと、「私はバンドマンと結婚したつもりだったのに今あいつゴルフとかやってる」とか「ゴルフをやるなら付き合いでやるな、せめて自由意志でやれ」等を友人(2人は旦那とバンドやってた)に嘆いてあしらわれていた記憶もある。
面倒な酔っ払いでしかない。
友人の方も1人が二日酔いだって言ってたけど人の実家で二日酔いになるのかよ。

帰りに友人の車の後ろに乗っけてもらったのも最後までおもしろい状況だなと思った。今度は2人はずっとポケモンの話しかしてなかった。私はずっと寝てた。



近況3

DYGLとHAPPYとTENDOUJIのスリーマンに行った。
コロナで溜まったライブ欲を徐々に発散できている。

先日会ったときに判明した通り、みにょちゃんも来ていたので一緒に見れた。ライブに来て、人と喋りながら始まりをそわそわ待つというのが数年単位で久しぶりだ。
「DYGLのベースの人好きで。」「え、めっちゃかっこいいよね。」という話ができたのは推し繋がりの友人ならではという感じで大変に助かる。ベースの加地さん、めちゃくちゃかっこいいんですよ……
3バンドどんな順番で出るんだろう。と私が言ったら、オレンジのマーシャル(※訂正 マーシャルではなくオレンジのアンプ)がない、シンセが準備してある、とみにょちゃんがわかりやすく予想して解説してくれた。ちゃんと合ってた。ネバヤンのスズケンさんがドラムやってるよ、とかもここで教えてもらった。全然知らなかった。
全体的に私が教えてもらってばかりでみにょちゃんに申し訳なかったけど、こういうのが不足してたなぁとしみじみ思った。こちらの言ったことにプラスアルファが返ってくる会話。趣味が近くて自分より詳しい人と話をするのって、楽しいよね…
というか詳しい詳しくない、という発想自体がそもそも久しぶりだった。趣味の部分では、最近は大学時代以前の人生に戻ってしまっている。「最近何聴いてるの」って話をする相手が父しかいない環境(私は父と意味わからないほど仲が良いです)。詳しい人に刺激を受けたり、自分が触れていないところから情報を得られる環境。
むしろそういう大学時代の人間関係が人生の例外だったのか?とも思いかけていたけど、やっぱり趣味友だちを見つけて大事にしていこう…と思いました。
要はライブ始まる前からとても楽しかったということです。

その間、私たちの後ろで男がずっと女の子をナンパしててそっちもそっちでおもしろかったな。
勝手にしてくれて構わないが、目の前で同年代のかっこいいバンドが演奏する、という空間であなたが声をかけて女の子の心が動くと思っているのだろうか?私だったら加地さんの演奏を見た後にそのへんの男に声をかけられてもじゃがいもにしか見えませんが。


近況4

人生で初めて遠征した。
東京にいると大体は東京で事足りてしまう人生。旅行も好きではないし、学生時代は交通費でお金が飛んでいくのがもったいないと思ってしまっていたし、今は猫がいるから外泊したくないし。
w.o.d.のツアーを見に長野に行った。
長野は新幹線で行きやすく、ライブハウスは駅からすぐ、土曜日、というこの上なく初心者向けな日帰り遠征だった。
私は外出は好きではないけど移動時間は嫌いではない。何かをしていてもいいし、何もしなくてもいい時間、というのは他にあまりない。2時間弱の新幹線で行きも帰りも一切何もせずに窓の外を眺めてた。一応文庫本をカバンに入れていたけれど、旅先で本を読めたことってない。
この過ごし方は理解できない人はできないだろうな。さいころから母親に「またぼーっとして」とよく言われて(父親には言われない。なぜなら私と同じ星の人だから。)いたけど、私は「本当に何もしない」をするのが得意。

余裕をもって開場の1時間ほど前に到着。
長野駅は、新幹線の停車駅なだけあり繁華街だった。旅行好きの人から見たら信じられないだろうけど、その1時間を駅前のショッピングモールで新宿にもあるようなお店を見たり、タリーズでコーヒーを飲んで過ごした。知らない土地で知っているところへ行く安心感を愛しています。海外旅行でも躊躇なくチェーン店を喜びます。
せっかく来たのにと思われるかもしれないが、本当にライブに行くことだけで目的だったから、それさえすれば他にせっかくももったいないもなかった。
一応最終の新幹線を取ってあったけど、大幅に余裕をもってライブは終了。早い時間に特急券を変更して帰宅。アンコールすらなかった…これなら長野以外も遠征できたな。というまだ見たい気持ちを抱えてzeppのツアーファイナルを楽しみに待とう。





9月10月、それから11月も、久しぶりにライブにたくさん足を運んでいて、やっぱ間違いなくライブ行くの好きだなって思ってる。好きなバンドだから行っとくとか、ライブ通ってこそ音楽好きな人間だとか、そういう気持ちで行っているだけかも、と思ったこともあったけど、コロナを経て絶対そんなことねーと思うようになった。なんだかわからないけどとにかく好きなので。
けど同時にちょっとこわい。なんだかわからないけど好き楽しい、ってことは、なんだかわからないけど楽しめない、になったとしてもどうすることもできない。
この気持ちが長い人生の中では一時的なものでしかなかったらと私は恐れている。
「若い頃はライブ好きだったんだよな。今は前ほど聴かなくなっちゃったな。」っていう大人になることを私は本当に本当に恐れている。
もしかしてそういうのって、そんな大人にはならねーぜ!みたいな気合の問題ではないのでは…?
などを考えて意識的にライブに行っているというのも、若干はあって、純粋に「好きで行ってる」ってなんなんだろうと思ったりして。