愛しているという言葉よりもっと良い言葉があれば良いのですが
(2019.10.29 SYS TOUR THE FINAL)
ぜひ僕を利用してください。ぜひBTSを使ってください。あなた自身を愛するために
(2019.4.7 love yourself tour)
愛という普遍的でたくさん語られてきたものを自分自身の言葉で語ることができるようになるためには、どれだけのことに本気で向き合い、深く考え続け、相手を思っているのでしょうか。
愛してるという言葉を、사랑해、I love youほどに日本語は使いません。
彼がもし日本語を母国語として生まれていたら、それをどう考えて言い表していたのだろうと思います。それを見てみたいとも思うけど、ハングルを母国語に生まれてくれて良かったとも思います。
日本語で、と括るのは雑かもしれませんが、普段の私の感覚で言えば、自分のSNSやブログに「愛とは」なんて書くのは照れくさいと思ってしまう。そんなことを大真面目に言うのは万人受けする歌詞を書く歌手だけでしょ、と。
love yourself とはなんなのか?
私は結局はっきりとはわかっていない。ただ思うのは、彼らに示されなければ考えることもなかっただろうということ、考えなくてもそれはそれで済んでしまっていただろうということ、それが何か旅路に誘われてしまったのだということ。随分後追いではあるけれども。
彼らは画面を見ている世界中の人に向かって、数万人の観客に向かって、「愛しています」「自分を愛して」と言う。
愛とは一対一の関係でお互いに与え合うものだと考える人から見れば、その構図は偽善にすら見えるかもしれない。
彼らの言う愛とはそうではなく探して見つけるものなのかもしれない。どこかにあるという意味ではなく、自分の中から。
もしくは自分の中から自分のために生み出せるものなのかもしれない。
彼らの言う「自分を愛して」はそれのきっかけになろうとしているように思えます。
私は愛されて甘やかされて平凡でも幸せに育った人間で、基本的に自己肯定感には困らない方で、でも肯定感があったとしてもそれとは別に劣等感とコンプレックスでがちがちでいる人間です。それが原動力になることもならないこともあります。
ナルシストと自己肯定は違う。 卑屈と謙遜は違う。
私にとってのlove myself は、他者に左右されない(その代わり他者に認められもしなくても)自分の価値を自分で認めること。
名声を得ることによって、自分たちの価値を高めるのみならず、私たちの価値を高めてくれてありがとう。そんな人は、これまでの私の人生ではあなたたちのほかに知りません。
お誕生日おめでとうございます。愛しています。
2021.09.12